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【黒揚羽】
第一章 第八話 ![]() 「何の真似ですか、これは」
喉元に刃物を突き付けられているにも関わらず、クローディアは眼前の男に淡々と問うた。 「見ての通りだ。協力できないというのなら、人質になってもらおう」 返ってきた言葉に、彼女も僅かに眉間を寄せる。 「愚かな・・・わたしを人質に取った所で、権利など得られる訳がない」 「だ・・・黙りなさい。それ以上喋ると・・・本当に斬るよ!」 包丁を握る女が、震える声で喚いた。しかし、クローディアは恐れるどころか、静かな声で女に語りかける。 「あなたも可哀想な人・・・。ご主人のために、こんな恐ろしい思いをさせられて」 包丁を握る女の手は、震えていた。気が動転して手が滑れば、間違いなく刃が牙を剥くであろう。それを理解した上で尚、クローディアは言葉を続けた。 「お腹の中に新しい命が宿っているというのに、あなたはその手で、一つの命を奪おうとしている。その手で抱かれる子供の気持ちを、あなたは考えたことがありますか?」 頭の後ろで嗚咽が漏れる。強硬な手段など、本当は取りたくないのだろう。彼女も、ウォードも。 同情の余地は、有り余る程ここにある。だが、同情した所で何もできないということを、クローディアは理解していた。 王女という肩書きが、どれだけ己の能力を、自由を抑制しているか、彼女はそれを解っていた。王女クローディアとしての使命は、国を動かす大人たちの言いなりになること。飾りになること以外、彼女にできることは何もない。 自由と権利を持つ普通の人間として存在することを、彼女は許されないのだった。その、特別すぎる立場故に。 「そこまでしてでも・・・俺達は自由が欲しいのさ。子供だと思っていたが、あんたはやっぱり、いけ好かねぇ貴族のクソアマだ」 ウォードは左手に構える銃を、クローディアに向けた。それでも彼女は、凛とした表情を崩しはしない。 「なあ、俺が手ぇ出したら、やっぱ罪状増える?」 不意にオズが口を開いた。 「おっと!変なマネするんじゃねえぞ。さもないとこの女の脳みそが吹っ飛ぶからな」 「うるせえ。で、どうなんだ?」 警告するウォードに怒声を飛ばし、彼は横目でクローディアを見る。 「罪状が増えようが増えまいが、あなたは既に死刑が確定しているでしょう?」 「あー!そうだったわ」 冷めた返答に、オズは額をぺちっと叩いて大袈裟に顔を歪める。 「っつーわけだ」 ふと、彼の顔から表情が消えた。訝しげに眉根を寄せるウォード。オズは何もない空間を見つめたまま額に当てた右手をゆっくりと下ろす。 「てめぇら・・・」 彼が男に目を向けるよりも、先。 「覚悟しな!」 男が動くよりも早く、オズは銃を抜いた。轟音が響き、男の猟銃が宙を舞う。ウォードが顔を歪めると同時に、オズの左手に握られた短銃が火を噴いた。両手の銃をはじき飛ばされ、ウォードは武器を失った。 「あんた!」 男の妻が悲鳴に近い叫びを上げる。すると、オズは短銃のグリップで、女の手に握られた包丁をはじき飛ばした。衝撃でよろめいた彼女を、クローディアが抱き留める。 「俺相手に力で勝とうなんて、百年早えぇんだよ」 オズは表情のない顔のまま、銃口をウォードの頭に向けた。男は顔に悔しさを滲ませ、ガクリと膝を突いた。 「力で得た権利に、何の意味があるというのでしょうか」 オズの隣で、クローディアが静かに口を開いた。 「人を傷つけ奪い取った自由は、真の自由と言えるのでしょうか」 淡々と言葉を紡ぎ出すクローディアの瞳は、真っ直ぐに、ウォードの顔を見つめていた。 「貴方のご婦人も、貴方の子供達も・・・泣いているのがわかりませんか?」 男は床に視線を落としたまま、唇を噛みしめた。ソファに腰掛けた彼の妻は、嗚咽を漏らしながら泣いている。二階から、怯える子供達の泣き声が聞こえてくる。ウォードは、何も答えなかった。 彼を見つめたままクローディアは暫く黙っていたが、彼が何も答えるつもりがないのだと悟ると、再び穏やかな口調で語りかけた。 「憎しみは、連鎖させてはなりません。苦しむのは貴方だけではないのですから」 「我々は、苦しみながら生き・・・これからも、この苦しみを抱えて生きよと言うのか?」 ウォードが重い口を開いた。しかし、クローディアの顔を見返すことなく、その顔は項垂れたままだった。それが彼の絶望の表れだということは、クローディアも理解していた。 「苦しみを抱えずに生きている人など、本当にごくわずかな人たちだけです」 それでも、彼女は男に現実を突き付ける。 「わたくしがあなた方の自由の為に人質になったとしても、王はあなた方に自由は与えず、罰を与えることでしょう。わたくしはあなた方に平穏に暮らして頂きたいのです。どうか、わたくしのことはお忘れ下さい」 表情のない声が、やけに鮮明に響く。 クローディアは膝を突き、ウォードが顔を上げないと承知の上で、彼に語りかけた。 「あなたの愛する人たちの為にも、人を憎むことは・・・もうおやめなさい」 やはり彼は、何も返さない。 暫しの沈黙の後、クローディアは立ち上がり、踵を返した。それを横目で認め、オズもそのあとを追う。 「つーことだ。じゃあな・・・」 扉をくぐるまで警戒を緩めず、重い扉を閉める。 扉の向こうに、失意と絶望の底に沈んだ男を残して。
03/12 01:36 | What's NEW |
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